信仰の自由に思うこと

宗教ともなるとお年寄りが唱えている南無阿弥陀仏やキリスト教のアーメンというお祈りを連想してしまうのですが、アメリカ人などにおいては、自分なりの信仰を持っていることは誇りのように思っているそうですね。もちろん日本においても憲法の第20条で、信仰の自由については保障されています。

しかしながら、日本では歴史をさかのぼると江戸時代には、踏み絵を通してクリスチャンであるかどうかを確かめながらキリスト教を迫害してきました。こうした殿様のキリスト教への迫害の背景には、主君への忠誠と神様への忠誠とを計りにかけたのではないかと思います。その上で、神様への忠誠の方が強いということで迫害をしたのだと思います。ただしキリスト教信者の場合、そんな迫害の中でも命がけでキリストへの信仰を貫いていったようです。その点に関しては、私のような自己中心性の強い人間から見ると、尊敬に値することであると思います。

また、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂には、イエスキリストの一番弟子でもあるペテロが祭られています。以前に、このペテロが出演しているクオ・ヴァディスという映画をレンタルDVDで見たことがあります。ローマ帝国のクリスチャンに対する迫害があまりにも激しいので、ペテロはローマから立ち去ろうとしたのですが、イエスキリストの幻が表れて一人ローマに向かって行かれる姿を見て、ペテロも心を改めて死を覚悟でローマへ行ったという内容だったと思います。しかもイエスを裏切ったという後悔の念から、イエスの十字架刑よりももっと辛い逆さ十字架の刑で殉教をしたそうです。

そうした意味において、信仰の力というのは強靭なものであると改めて感じます。